コンピュータは思考の道具だ

はるか昔、僕が中学生ぐらいだったころ、月刊asciiに「哲学者クロサキのMS‐DOSは思考の道具だ」という連載があった。彼が誰かもしらなかったし内容もろくすっぽ覚えちゃいないのだけど、この題名だけ覚えていて、たまーに思い出して、正しい題名はなんだったっけか、と思うのでメモ。
僕の中のコンピュータの定義として、思考の道具という単語は実にパシっと嵌る。この人の解釈とはまた全然違う方向かもしれんけど、思考を構築するというか、思考変換器というか。頭の中でぐにゃぐにゃ考えていることを、PCに書き出して、どーのこーの、みたいな。
やはりコンピュータはプログラムする機械として存在してほしいなぁ。